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土山真樹子ちゃん殺人事件の真相を解明してみたい

事件の概要

1984年11月24日の午後2時頃、大阪府東大阪市に住む土山さんの次女である真樹子ちゃん(当時2歳)が、自宅裏の路地で倒れているのが発見された。排水溝に顔を沈めるようにうつ伏せに倒れており、意識不明の状態だった。

発見されてからすぐに病院に運び込まれたが9時間後に死亡が確認された。真樹子ちゃんの首にはヒモで絞められた跡があった。

真樹子ちゃんは同年10月19日にも、同じ場所で何者かに首を締められて気を失っているのを発見されている。この時もヒモで絞められた跡があり5日間入院している。締め跡を分析した結果、どちらの事件も弱い力で少しずつ絞められていたことが分かっている。

真樹子ちゃんは最初の事件のあとから外に出ることを嫌がっていたが、久しぶりの外出時に被害に逢ってしまった。

事件の直後、同市内に住む真樹子ちゃんの祖父の家に不審な電話がかかってきている。電話の相手は女性で終始泣きながら理解不能な言葉をしゃべり続けていた。唯一聞き取れた言葉が電話を切る直前の「すみません」だった。

この時点で祖父はまだ真樹子ちゃんが殺害されたことを知らずただの間違い電話だと考えていた。それからも数日にわたって無言電話がかかってきている。受話器をとって応対すると無言のまましばらくすると電話が切られる。

警察の捜査

最初の事件(10月19日)において警察は事故として処理。近くの住宅のドアに取り付けられていたビニール紐に誤って首を引っ掛けてしまっただろうとの見方だった。

しかし次の事件(11月24日)で真樹子ちゃんが亡くなったことで同一犯による犯行とみて捜査を開始。

また、真樹子ちゃんの顔に擦り傷などがなかったことから、犯人は発見現場とは別の場所で真樹子ちゃんを襲い運んだと見ている。

警察は目撃情報を呼びかけたが有力な手がかりはなく今だにこの事件は未解決のままだ。

真相について考えてみよう

  1. 犯人はだれ?
  2. 犯行後の電話はなんのため?
  3. 真樹子ちゃんはなぜ一人で外に?
  4. ゆっくり絞めたのはなぜ?

犯人はだれ?

真樹子ちゃんは最初の事件の恐怖からなかなか家を出ようとしなかった。そして、久ぶり外に出たところを犯人に手をかけられてしまった。

犯人はなぜその日に真樹子ちゃんが外へ出てくることを知っていたのだろうか。そこから思い浮かぶのは犯人は土山さん家族と知り合いだったのではないか、という説。真樹子ちゃんの心配を装うフリをして情報聞き出すのは容易い。

さらにその説を裏付ける理由として、犯人は真樹子ちゃんを別の場所で襲ったというポイント。いくら2歳の子供と言えど顔の見分けはつく。知らない人に無理やり連れていかれそうになったら嫌がるはずだ。

騒いでいればたちまち周囲の人間に目撃されるだろう。犯人は真樹子ちゃんも知っている人間だったのなら不審な目撃情報がないのも納得できる。

仮に犯人は見知らぬ人間だとしたら、真樹子ちゃんが外に出てくるのを毎日見張っていたことになる。最初の事件から1ヵ月間、土山家の周りを監視していたら目立ってしまうだろう。

犯行後の電話はなんのため?

事件後すぐに電話をかけているということは電話の主は犯人である可能性は非常に高い。では、一体なんのための行動だったのだろうか。

罪の意識に苛まれての謝罪?だけど最後の「すみません」は変な電話をしたことに対して謝ったとも考えられる。つまり、「すみません」に深い意味はなく電話を終わらすための締め台詞ということ。

となれば残る目的は一つ。ずばり捜査の撹乱だ。これは単なる推察だけど、もし犯人が知り合いだと仮定したて、電話の声から人物が特定される危険があるから知り合いが電話をするはずがないという心理を逆手に取ったのでは。

あるいはボイスチェンジャーで声をかえて犯人を女性と思わせる策略とも考えられる。

どちらにせよ電話の理由は捜査の撹乱が濃厚かと。

真樹子ちゃんはなぜ一人で外に?

この事件を調べているときに「2歳の子供を一人で外に出したのか?」と思った。しかし事件当時は昭和59年。その時代はわりとオープンで周りはみんな顔見知り。外で子供が遊んでいてもなんの心配もなかった時代だ。

最初の事件があったにも関わらず警戒しなかったのかという意見もあるかもしれないけど、その時点ではまだ事件ではなく事故と思われていた。家族としてはいつまでも家に籠っているよりは、外で遊べるようになってほしいという気持ちが強かったのかもしれない。

ちなみに子供の安全を真面目に取り組むようになったのは宮崎勤の連続幼女誘拐殺人事件以降だったはず。それまでは外で幼児が遊んでいても普通の光景。現在のように子供に声をかけただけで事案になったりしなかった。

ゆっくり絞めたのはなぜ?

個人的に気になったのは『どちらの事件も弱い力で少しずつ絞められていた』の部分。この時の犯人の心境は一体どーいうものなのだろう。まぁ殺人を犯すような人間の心境なんて理解できないけれど。

やはりここでも可能性として考えられるのは犯人は顔見知り説。

たとえば刺殺や銃殺なら一撃で致命傷だけを与えていたのであれば、犯人が被害者の苦しむ姿を見たくなかったと考えられる。

しかし絞殺の場合は一気に絞めたところで苦しみが薄まることはない。であれば、そっと締め上げるのが ”犯人にとっては” 優しさのつもりだったのかもしれない。殺人に優しさも情けもないのは重々承知だけれど。

以上のことから犯人は真樹子ちゃんを含めた土山家族の知人だったと推測する。もちろん動機などは想像もつかないし、有力な目撃情報がないのも不可解だ。それにしても可哀想な事件だ。2歳の子供が誰かに恨まれるわけがない。一体なにがあったのか、未解決事件となった今では誰にも解明できない謎だ。

田畑作之介ちゃんひき逃げ連れ去り事件の真相を解明してみたい

事件の概要

1978年3月3日午後4時半頃、大阪市住之江区で田畑作之介ちゃんが失踪した。作之介ちゃんは当時3歳で自宅近くの道路で近所に住む5歳の男児と遊んでいたところ、走ってきた自動車にはねられた。

作之介ちゃんは顔から血を流しぐったりとしていたそうだ。車を運転していた中年男性は「どこの子やろ?救急車を待っている時間がないので自分でこの子を病院に連れていく」と言い残し、作之介ちゃんを車に乗せて走り去った。

一緒に遊んでいた男児はすぐに田畑さんの家に駆け込み、母親に事情を説明。母親と男児が急いで事故現場に戻るも犯人は走り去ったあとだ。母親は近くの病院に問い合わせたが、どこの病院にも作之介ちゃんは運び込まれていなかった。

不審に思った母親は警察に通報。次の日になっても犯人から連絡がないことから警察は誘拐事件と断定して捜査を開始した。目撃証言からモンタージュ写真を作成し情報を呼びかけた。

しかし作之介ちゃんを発見できないまま事件から5年後の1983年3月3日に業務上過失致死及び略取誘拐罪などの時効が成立した。これは車で轢かれた時はまだ生きていたと考えられることから殺人罪には問われていない。

仮にけが人を連れ去り治療を放棄して死なせたのであれば殺人罪が適用されるが、それでも15年後の1993年には時効が成立していらことになる。

目撃者の証言

事件発生は夕方で人通りの多い時間帯だったため多数の目撃者がいた。その証言によると犯人の特徴は以下のようになる。

  1. 40歳前後の中年男性
  2. スーツ姿ではない(Tシャツ?作業着?なぜか曖昧)
  3. 車は白いカローラ
  4. 南の方角へ走り去った

現場路面にブレーキの痕はなかった。作之介ちゃんをはねた後も車は数十メートルほど走っていたことになる。

今ではいたるところに防犯カメラが設置されていて犯人の手がかりも簡単に見つかるが、当時はまだ不十分。目撃情報からもナンバープレートの判明には辿り着かなかったため、犯人の車は特定できなかった。

真相について考えてみよう

現場にブレーキ痕が無かったことからよそ見運転による前方不注意だったと考えられる。

犯人に助ける意思はあった?

そのまま走り去らずに車から降りたということは、この時はまだ助ける意思があったのかもしれない。しかし、作之介ちゃんの容態を見て助からないことが分かり、捕まるのが怖くて病院に連れて行かずに逃げたのだろうか。

いや、本当に助けたい意思があれば救急車を呼ぶか周囲に助けを求めるはず。となれば最初から証拠隠滅のために車から降りて作之介ちゃんの元へ駆け寄ったと考えるほうが自然か。「自分で病院に連れていく」と言い残したのも、警察や救急車を呼ぶまでの時間を空ける目的だったのかもしれない。

事故現場の交通事情

事故現場から阪神高速15号堺線を挟んで田畑家が立地していた。帰宅ラッシュによって渋滞する高速道路を避けて下道を通る車もある。事件当時、阪神高速15号堺線は開通したばかりで通行料を嫌がる人もいただろう。急いで帰ろうとスピードを出す車が多いのもこの時間帯だ。

作之介ちゃんを轢いた車もその中の一台だったのかもしれません。

犯人はどうしていれば良かった?

暗くなり始める時間帯に3歳の子供が道路で遊んでいたとなれば、運転手からすると想定外の状況に陥ることもある。住宅のある一般道路ではスピードを落として安全確認を心がけて走るのは当然だが、仕事帰りとなれば注意力が鈍るのも分かる(犯人が仕事帰りだったかは知らないけど)。

せめて救急車を呼んで適切な処置をしていれば最悪の状況は免れたかもしれないと考えると心苦しい。なぜ犯人は作之介ちゃんを連れ去ってしまったのか。逮捕への恐怖が犯人を悪の道へと引きずり込んでしまったのか。

時効が成立した今となっては犯人を法で裁くことはできない。40年も前の事件なので犯人が40歳前後の男性だったことを考えるともう生存していないかもしれない。犯人は事件後どのような人生を歩んだのだろうか。警察からは逃げきれたけれどわずかな良心が残っていれば罪の意識からは逃げられなかったはず、そう思いたい。

猪原修くん失踪事件の真相を解明してみたい

事件の概要

1973年7月3日、熊本県に住む当時5歳の猪原修くんが行方不明となった。決死の捜索が行われたが事件解決には至らなかった。

それから数年後に「山に男の子の遺体を埋めた」と書かれた手紙が届いた。手紙に記載された場所が探索されたが何も見つからなかった。未解決事件となった。

この事件は地元新聞にしか掲載されておらず、事件の詳細などは広く出回っていない。

真相を考えてみる

情報はこれだけしかないが、なんとか考えを絞り出してみよう。

なぜ数年後に手紙が届いたのか

誘拐だったとすればすぐに犯行声明をしなかったのはおかしい。数年たって自ら手がかりを示すようなことをしたのはなぜだろう。もしかしたら手紙から足がついた可能性もある。

そうなると捜査を撹乱することが目的だったと考えられる。捜査の手は犯人の近くまで届いていたのかもしれない。他の場所へ意識を向かせて、そのあいだに証拠隠滅を図っていたのだろうか。

あるいは猪原修くんがもう生きていないことを伝えたかったのかもしれない。どちらにせよ事件は未解決のままなので犯人の思惑通りに事が進んだのだろう。

赤城神社主婦失踪事件の真相を解明してみたい

事件の概要

長くなるのでいくつかのブロックに分けて説明してみる。

何が起きたのか

1998年5月3日、千葉県白井市在住の主婦である志塚法子さんは赤城神社(郡馬県宮城村)にお参りへ訪れた。同行したのは夫・娘・孫・叔父・叔母・義母の6人。その日は朝から雲行きが怪しく赤城神社に到着するころには土砂降りの雨だった。時間は午前11時半。

仕方なく参拝に行くのは夫と叔父だけにして、あとのメンバーは駐車場に停めた車の中で待機することに。それからしばらくして法子さんは「私も賽銭をあげてくる」と家族に告げた。財布から100円玉1枚と1円玉1枚を取り出し車を降りる。時間は午後12時。

法子さんの格好はピンク色のシャツと黒いスカート、そして赤い傘を差しており目立つ姿だった。車を降りて1人で境内へと向かったはずだが、境内とは別の方向に佇む法子さんを車内に残っていた娘が目撃している。駐車場からは100mほど離れた場所だった。「なにをしているんだろう」と不思議に思いながらも、目を離したほんの数十秒のあいだに法子さんの姿は無くなっていた。

それ以降、法子さんが家族の前に姿を現すことはなかった。

法子さん失踪

参拝から帰ってきた夫と祖父に事情を説明するも法子さんとは合流していないと言う。境内に向かったのであればどこかで必ずすれ違うはずだった。戻ってくる様子がなかったため心配した家族は周囲を探すが、法子さんの姿はどこにもなかった。群馬県警へ通報。

その日から10日間で延べ100人の警察と消防団が捜索を開始したがついに法子さんは発見されなかった。

赤城神社は観光客が多く、事件当日はゴールデンウィーク期間中だったこともあって沢山の人で溢れていた。だが不審な人物を見かけた人はおらず、物音を聞いた人もいなかった。その後、群馬県警には20件程度の情報提供が寄せられたが、どれも手がかりとなるものはなかった。

失踪してから10年がたった2008年に、法子さんの顔写真を掲載した捜索チラシ500枚が配布されたが、情報提供の呼びかけもむなしく2008年6月に失踪宣告が出された。法子さん捜索は打ち切られ事件は迷宮入りに。

無言電話

法子さん失踪後に自宅へ数回無言電話がかかってきている。局番は大阪と米子。それ以上の情報はなし。たんなるイタズラ電話?

奇跡の扉 TVのチカラ ~ホームビデオ~

失踪から7ヵ月後、家族はテレビ番組「奇跡の扉 TVのチカラ」に出演し情報提供を求めた。この番組はテレビを通じて未解決事件の情報を呼びかける生放送番組。行方不明者の捜索依頼や、記憶喪失者が自分の身元の情報を呼びかけることも。番組終了までに取り上げた事件事故は138件、そのうち58件を解決に導いた。この時代はこーいう番組が結構あった。今だと不謹慎だとかなんとかですぐに非難を浴びそうだ。話が逸れた。

失踪当日に観光客が撮影していたホームビデオが番組に提供された。そこにはピンクのシャツを着て赤い傘を持っている女性が映っていた。法子さんの恰好とほぼ同じだったが、映像を家族が確認すると別人とのこと。

さらに画面の右下にも傘を持った人影が小さく映っていた。映像解析の結果、傘の色は赤で髪の長さも法子さんとほぼ同じだったことが判明。だがそれ以上の情報は得られず、進展は無し。

奇跡の扉 TVのチカラ ~自称超能力者~

アメリカで透視操作を行うゲイル・セントジョーンに捜索を依頼。いわゆる超能力者ってやつ。個人的にそーいう類にものはあまり信用していない。まとめるのも面倒。とりあえず箇条書きにしておこう。

  1. 境内へ向かう途中で若い男性に「手をかしてほしい」を声をかけられた
  2. ついていくと中年男性が倒れている(娘が法子さんの姿を目撃したのはこのとき)
  3. 若い男性と一緒に中年男性を車まで運ぶ
  4. 車の前で殴られ拉致される
  5. アジトに連れていかれ暴行を受ける
  6. 翌日の夜に赤城神社で解放
  7. 意識が朦朧のなか歩いているうちに崖から転落して死亡した

ゲイルさんの透視結果はこんな感じ。いろいろ突っ込みどころがあるけど後述。もちろんこれで事件解決することはなく進展はなし。

事件の真相について考えてみよう

法子さんは自ら失踪した?

一説では法子さんが自分の意思で失踪したのではないかと言われている。さらに他の男性と駆け落ちしたとのうわさまで。

個人的な見解としては、それはないと思う。

失踪する理由がなんにせよ、わざわざ家族一緒に行動しているときにするものではないだろう。タイミングがおかしすぎる。それに失踪前に賽銭用として101円だけを持って出ていっているが、失踪するつもりなら普通は財布ごと持っていくだろう。神社に財布を持っていったからって家族に怪しまれるわけでもないし。服装だってなるべく目立たないように地味な色にする。

たしかにこれだけ探して何の手がかりもないとなれば、意図的に隠れているのではと考えるのも当然か。それにしても状況から考えると不自然だし、テレビ放送によって全国中で探されているとなれば生活もしづらいだろう。

遺体も見つからないだけに自主失踪の線もゼロではない。けど、納得はできない。これ以上考えても答えは出ないのでここまで。

事故にまきこまれた?

事故によって命を落としもうこの世には存在しない可能性はあるのだろうか。交通事故など人為的な事故であれば明るみに出ているはずなので考えない。あるとすれば1人のときに崖などから足を踏み外して転落してしまった場合。もちろん目撃者もいない状況で。

参道は山道だがきちんと整備されており危険な場所とはほど遠い。道に迷う心配もないような場所だ。ゲイルさんが言うように意識朦朧とさまよっていたならともかく、正常な状態なら安心安全。失踪当日は人通りも多いので、無意識に人目を避けるのは難しかったはず。

目撃者がいない事と遺体が見つかっていない事を踏まえると事故というのはちょっと考えづらい線だ。

ゲイルさんの言うように拉致事件だった?

何度も言うように失踪当日はゴールデンウィークということもあり沢山の人間が周囲を歩いている。よりにもよってそんな日に偶然この場所を訪れた法子さんを拉致する目的は一体なんだったのか。

金銭目的で目をつけられたのなら金目の物の持っていないと分かった時点でその場で解放されるのでは。そのためだけに拉致するのはリスクが大きすぎる。

身代金目的の誘拐だったのだろうか。失踪後に無言電話もかかってきている。もしかしたら、それが犯人からの要求を知らせるための電話だったとも考えられる。しかしその後になんの音沙汰もないのでイタズラの可能性が濃厚。

殺害目的で法子さんの命を狙っていたという線はどうだろう。家族が近くにいるにも拘わらずこの日に犯行へと踏み切った理由が思いつかない。殺害するほど恨みを持っているほどの人物であれば家族の誰かと顔見知りかもしれない。顔を見られたら一発でバレてしまう。それにその手の動機は警察が真っ先に調べ上げるだろう。

ゲイルさんは犯人の目的は金銭でも殺害でもなく暴行目的だったと言っている。失礼な話だが法子さんは当時48歳。う~ん、どうだろう。もちろん世の中にはいろんな人がいる。人それぞれ趣好もあるだろう。絶対ないとは言えないけど。う~~~んって感じ。

結局どうなの

改めて考えてみるとゲイルさんの線が一番ありえる?自主失踪でも事故でもなかったとしたら考えられるのは事件だ。事件に巻き込まれる可能性として最も考えられるのは暴行目的。となればゲイルさんが言っているのが正解なのか?

透視捜査という言葉が怪しすぎてあまり信じたくない。あくまで否定できる確証がないってだけで、状況から矛盾点が出ないように辻褄を合わせた創作話だ。まぁ俺の意見全てが創作なんだけど。

結局のところよく分からん。遺体が見つかれば全て解決しそうだけど。これだけ探して遺体が見つからないってことはやっぱり事件に巻き込まれたのだろう。なんの真相解明もしてないけどここまで。新しい手掛かりが見つかればまた再考してみたい。

赤城山で頭蓋骨発見

2012年8月に赤城山の国有林で人間の頭蓋骨が発見された。司法解剖の結果20~30代の女性と判明した。さらに1年から数年経過していると見られている。赤城神社主婦失踪事件との関連性は低そうだ。

大塚団地集団失踪事件の真相を解明してみたい

事件の概要

1995年、滋賀県東近江市の大塚団地で不可解な事件が発生。突然、団地住人が全員いなくなる。一週間後には近くの森で老婆の遺体が発見。さらに一週間後には行方不明だっ団地住人が自殺。この事件をきっかけに心霊スポットとして有名に。肝試しにきた大学生グループの一人が何者かによって日本刀で惨殺される。

  1. 団地住民が集団失踪
  2. 近くの森で老婆の遺体を発見
  3. 失踪していた団地住民が自殺
  4. 大学生が何者かによって殺害

1~3までの事件は1週間ごとに起きている。そして心霊スポット化して有名になったあとに、肝試しに訪れた大学生が殺害されているので、時系列として4は一連の事件よりも後になる。事件の真相は不明で未解決事件として噂が広まっている。

大塚団地があった場所はこちら大塚団地跡

本当に起きた事件なの?

と言うのも、大塚団地集団失踪事件について調べてはみたものの、いまいち有力な情報がない。それどころか「そんな事件起きていない」とか「デタラメだ」などの意見のほうが多かった。

しかし、いくつかの事実らしき情報もあった。それによると殺人事件自体は本当に起きているようだ。4つの事件を1つずつ検証してみようと思う。

余談だけど「大塚団地集団失踪事件」と検索すると「大塚団地集団失踪事件怖すぎwwwwwwwwwwwww」というタイトルのサイトばかり表示されたのが気になった。怖いのか笑っているのかどっちなんだろう。余談終わり。

1. 団地住民が集団失踪・・・していない?

いきなりだけど、この情報が一番怪しい。オカルト的というか都市伝説風味が強すぎる。団地の住民が全員消えたのならもう少し事件として話題になっていいような気がする。調べても出てくるのは都市伝説サイトだけ。

廃墟の団地に心霊的な噂をこじつけたいと考えて集団失踪ということにした、と考えるのが自然かな。ホラー映画とか怖い話でもよく失踪が題材にされていたりするし。失踪ってミステリアスな雰囲気を醸し出す言葉なんだろうね。

大塚団地集団失踪事件の「集団失踪」という一番重要な部分が早くも消滅してしまった。大塚団地事件、なんだか一気に興味が薄らいでしまう名前だ。薄気味悪さを出すために集団失踪事件にしたのは効果的だったと思う。

2. 近くの森で老婆の遺体を発見・・・されてる!

どうせこっちも適当なでっちあげだろうと思いつつ調べてみると、なんと本当に起きている事件だった。それも未解決事件で今だに犯人が見つかっていないらしい。

〈事件名〉蒲生町岡本における主婦殺人・死体遺棄事件
〈発生・覚知〉2000年6月27日
〈概要〉東近江市蒲生岡本町(旧蒲生町岡本)の雑草地で朝、近くの主婦高岡慶子さん(65)の遺体が見つかる。首を絞めて殺害され、鈍器のようなもので頭を殴られた跡があった。前日の朝に畑仕事に出かけ行方不明になっていた。
【1004/211:殺人事件時効廃止】県内3件が時効廃止/遺族「事件見届ける」

2006年1月に蒲生郡は合併により東近江市に変更されている。つまり事件が起きた場所と大塚団地があった場所は滋賀県東近江市で一致するということ。

大塚団地集団失踪事件では、殺害された老婆は首を絞められ殺害されたあとに鈍器で頭を強打されていたとあるが、これも一致。老婆というには少々失礼な年齢にあたる気がするけど。

唯一違うのは事件発生の日付

大塚団地集団失踪事件では、1995年に集団失踪が起きてから1週間後に老婆の遺体が発見されている。しかし、実際に事件が起きているのは2000年6月。この5年という期間はなんだろうか。

と思ったけど、よく考えたらそもそも集団失踪は起きていないと考えられる。それなら1995年という日付にはなんの脈絡もないわけで、1週間後なんてのも気にする必要なし。

「大塚団地集団失踪事件の老婆殺害事件」と「蒲生町岡本における主婦殺人・死体遺棄事件」は同じ事件と考えていいんじゃないかな。

3. 失踪していた団地住民が自殺・・・しているかもしれない

こちらに関しては詳しい情報なし。唯一見つけたのが「殺人事件、自殺などがあったことは地元の人が知っているまぎれもない事実」という心霊スポットによくある謳い文句だけ。信憑性に欠ける。

じゃあ自殺が無かったかと言われたらハッキリと答えられない。自殺だと事件性がないのでニュースとして残っておらず、もしかしたら本当にあったかもしれないが事実を確かめられない。自殺はそんなに珍しいことでもないし。

団地で自殺があったからみんな引っ越して住民がいなくなったとか、廃墟になったあとで浮浪者あたりがここで自殺をしたとか、いろいろ考えられるけど全て妄想。確証はない。

こればかりは地元の人に聞くしかないので考えても無駄だろうね。団地住民の自殺はあったかもしれないし、なかったかもしれない。

4. 大学生が何者かによって殺害・・・は胡散臭い

大学生を散弾銃で

事件から数年後に大学生グループが肝試しで団地に侵入。団地には服部という名前のお婆さんが一人だけ住んでいてたそうで、大学生を散弾銃で迎撃。あ、散弾銃じゃなくてRPG-7だったわ。という書き込みを2ちゃんねるで発見。

どう見てもネタでした。しかし、もう一つ手がかりとなる情報が。

大学生を刀で

廃墟となった大塚団地にはまだ一世帯だけ住んでいて、真夜中になると一軒だけ明かりがついている。大塚団地よりも少し手前の道には日本刀が刺さっており、写真を撮ろうとすると住人である服部さんに襲われてしまう。容赦なく日本刀で切りかかる服部さんに対して警察は関与していない。

ただの怖い話でした。証拠なし。ソースなし。この話は創作だったって事で片付けよう。

まとめ

  1. 失踪事件はなかった
  2. 近くで老婆殺害事件が起きたのは真実
  3. 団地住人の自殺は不明
  4. 大学生殺害の話はよくある噂話

失踪事件はなかったと言い切ったうえであえて失踪事件に繋がる要素を1つ。

廃墟となった大塚団地の部屋には荷物や洗濯物が放置されていたらしい。壁のポスターや作りかけのジグソーパズルもそのまま。テーブルの上には食べかけのご飯。まるで住人が忽然と姿を消したような状況から失踪事件説が発生したのかも。

まぁ個人的には信憑性のない話は好きじゃない。住民はみんな神隠しにあったんだーと言うわけにもいかず。大塚団地が取り壊された今となっては調べようもない。ってことで失踪事件はなかったと判断。

大塚団地集団失踪事件は不幸な事件と偶然近くにあった廃墟を掛け合わせた創作混じりの都市伝説だった。これが結論。真相解明できてないような気もするけど。新しい事実が発覚したらまた調べよう。